近松門左衛門の墓【空堀・まちかどガイド】
【近松松門左衛門の墓】
近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の墓はかつては法妙寺の境内にありました。このお寺さんが大東市に移転し、昭和55年に現在の姿となりました。
また尼崎市の久々知(くくち)に広済寺(こうさいじ)という日蓮宗のお寺がありますがここにも近松門左衛門の墓があります。
(撮影:記事 カラほっとSTUFF)
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【浄瑠璃・歌舞伎界のシェイクスピア、近松門左衛門】
承応2年~享保9年(1653~1724)
近松門左衛門は越前で武士の家系に生まれ、青年期に父と共に上京。
いつのまにか宇治加賀掾(うじかがのじょう)のもとで浄瑠璃作者の修行を始めました。
竹本義太夫が道頓堀に竹本座を旗揚げしたときにも上演された「世継曽我」(31歳のとき:天和3年[1683])が世に出る最初の作品といわれています。
出世作は竹本義太夫のために書いた「出世景清」、これをきっかけとして
浄瑠璃作家としての地位を確立し、歌舞伎の世界では昨今の復活が騒がれる坂田藤十郎の初代と共に数々の名作を残しました。
53歳(元禄16年[1703])のとき、初の世話物浄瑠璃「曽根崎心中」が大当たりし、以後の晩年は竹本座の座付作者として大阪に住んでいました。
[今も歌舞伎などで上演されているその頃のヒット作]
「国姓爺合戦(こくせんやかっせん)」
「嫗山姥(こもちやまんば)」
「平家女護島(へいけにょごのしま)」など、
世話物(せわもの:話し言葉の演劇)では
「心中天の網島(しんじゅうのてんのあみじま)」
「女殺油地獄(おんなごろしあぶらじごく)」など。
歌舞伎の代表作は坂田藤十郎主演の「傾城壬生大念仏(けいせいみぶだいねんぶつ)」(傾城=けいせい:遊女のこと)である。
【場所】
谷町筋にあります。地下鉄・谷町線「谷町九丁目駅」と「谷町六丁目駅」の
ちょうど真ん中で、郵便局があるマンションと隣のガソリンスタンドの間の1坪ほどの場所です。
大阪市中央区谷町8-1
下記のgoogle map で確認してください。
【 参考サイト 】: 空堀検索・カラほっと!
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